パリ五輪 ジョコビッチ選手 金メダル 悲願の達成とは!
この記事では、ジョコビッチ選手(37歳)が、多くの困難を乗り越えて手にした、
素晴らしい金メダル獲得のニュースをこれまで報道されたものを、
簡単に改めて振り返るものです。
7月、ウィンブルドン選手権決勝では、アルカラスにストレート負けをしていました。
6月には右膝を手術を手術もしていました。
そして、この度の大会では、「最後のチャンス」と臨んだとのこと。
そして金メダル!を勝ち取りました!
このような結果をもたらすことが出来たのは、ジョコビッチ選手の潜在意識に金メダルを獲得することを刻印されていたのでしょう!
本当に素晴らしい結果となりました!

男子シングルス決勝でカルロス・アルカラスに勝利し、喜ぶノバク・ジョコビッチ=4日、パリ(AFP時事)
パリ五輪 ジョコビッチ選手、史上5人目となる偉業を達成したビッグタイトル獲得数!
ジョコビッチ選手は、男女通じて5人目となる四大大会とオリンピックをすべて制する生涯ゴールデンスラムを達成することになりました!
*ゴールデン・スラムとは最難関の偉業とされています。
全豪オープン、全仏オープン、ウィンブルドン、全米オープンのテニス世界4大大会とオリンピックで優勝するという偉業です。
過去にシングルスでこの偉業を達成した選手は男女通じ5人だけだそうです。

ジョコビッチ『ビッグタイトル』72個目!!
ジョコビッチ選手はビッグタイトル獲得数で72個のトロフイーを獲得しました!
このビッグタイトルとはATPによりますと次の4つの総称です。
- 4大大会
- Nitto ATPファイナルズ
- ATPマスターズ1000
- オリンピック
https://courrier.jp/news/archives/189578より引用
ジョコビッチ選手 過去にプライベートを語っている記事がありました。
全豪オープンでカナダのラオニッチに勝利し、笑顔を見せる Photo: Fred Lee / Getty Images
そんなジョコビッチが全豪オープンを前に「ニューヨーク・タイムズ」のインタビューに答えた。
人生を変えた少年時代の「10ドイツマルク」
モンテカルロ──約束のオフィスビルは、高級ホテル、レストランが立ち並ぶ通りにあった。ビルの前には1台のランボルギーニ──。
そのビルの一室で、「10ドイツマルク、僕は10ドイツマルクを忘れない」と語ったのは、グランドスラムで優勝16回、ディフェンディングチャンピオンとして全豪オープンにのぞんでいるノバク・ジョコビッチだ。
彼は話しながら、父親がベオグラードの狭い賃貸アパートの台所でテーブルに10マルク紙幣を叩きつけたのと同じように、テーブルを手で叩いた。
この話は、旧ユーゴスラビアが解体した激動の1990年代の頃のことだ。ジョコビッチは、時期については正確に覚えていないが、父親が言った言葉は鮮明に覚えているという。
「当時、10ドイツマルクの価値は10ドル程度のものだったんだけど、『これが我が家の全財産だ』と父が言ったんだ」
「それから、今まで以上に強い絆で、家族が力をあわせ、この困難な状況を乗り越えなければならない、と。それは僕の成長過程において、僕の人生において、僕たち家族の生活において、もっとも強烈で大きな影響を及ぼした瞬間だった」
そして、1999年を迎える頃には、一家は12歳のジョコビッチがセルビアを離れ、ミュンヘンの「ニキ・ピリッチ・テニスアカデミー」に向かう道を見出した。これが彼のトップアスリートへの道の始まりだ。そこからジョコビッチは紛争時の略奪と不確実性の記憶で培われた驚異の反骨精神と集中力をもって道を切り開いた。
ジョコビッチ家の朝
32歳になった現在、彼は賞金を1億ドル以上、スポンサーシップを数億ドル以上を稼いでいる。少年時代とはまったく異なる時間と空間の中で過ごしている。
ジョコビッチによると、妻エレナと子供たち(5歳の息子ステファンと2歳の娘タラ)とのモナコでの朝は、地中海を見下ろすアパートのバルコニーで挨拶をすることから始まる。
「僕が息子を学校に連れて行くから我が家は早起きなんだ。まず台所でジュースを作り、それから外に出て日の出を見て、お互いにハグをして、そして歌を歌う」、さらに、「少しだけヨガもするよ」と付け加えた。
2019年の全仏オープンの試合を見守る、ジョコビッチの妻エレナと息子ステファン Photo: Clive Brunskill / Getty Images
ジョコビッチは少し照れくさそうにクスッと笑った。彼にとって、テニスはもはや自分の力を証明するためのものではなく、自分自身と周りの人々の生活をよりよくするためのものだという。
「誰もがトロフィー、記録やその偉業について話したがるよね。もちろん、その話題の中にいられることは光栄だと思っている」とし、こう続けた。「自分のキャリアを有り難くは思うけど、テニスは個人の業績を見せる場というよりは、舞台のようなものなんだ」
テニスを続ける理由
とはいえ、ジョコビッチ、ロジャー・フェデラー、ラファエル・ナダルは、テニス界の歴史において、これまで以上に個々の実績が注目されることになるだろう。彼らは10年間にわたり、男子テニス界を支配してきたのである。
グランドスラムシングルスタイトルの男子記録は、フェデラーが20回で1位、続いてナダルの19回が続き、ジョコビッチは16回で3位にランクされている。しかし、彼がこのままの調子で活躍し続け、記録を伸ばせば、より多くの機会があるはずだ。彼はナダルより1歳近く年下で、フェデラーより6歳年下なのだから。
だが、ジョコビッチはフェデラーの記録を追い越すことであることは明らかであるとしても、タイトルレースに重きを置いていない。
「勝つだけが目的のものではなくなったんだ。その場に行き、トロフィーの獲得を目指し、それを達成するために全力を尽し、それで終わる──僕にとってテニスは、もはやそういうものではない。そのような段階は終えたと思っているんだ」
彼と妻のエレナは、家族で運営する、幼児教育に重きを置いた「ノバク・ジョコビッチ財団」を成長させたいと考えている。また、健康的で目的意識のある生活を送る方法についての書籍を完成させたいとも思っている。
インタビュー: ロジャー・フェデラー「ひとりではトップにはなれない」 食に目を向け一変、稀代のグランドスラマーへ【#04】ノバク・ジョコビッチ | スポトリ現地時間1月29日、テニスの全豪オープン(オーストラリア・メルボルン)男子シングルス決勝がおこなわれ、世界ランキング4位...食に目を向け一変、稀代のグランドスラマーへ【#04】ノバク・ジョコビッチ
CONTENTS
現地時間1月29日、テニスの全豪オープン(オーストラリア・メルボルン)男子シングルス決勝がおこなわれ、世界ランキング4位のノバク・ジョコビッチ(セルビア)が同3位のステファノス・チチパス(ギリシャ)を破り、10度目の優勝を果たした。
ジョコビッチはこれで、グランドスラム(GS:全豪・全仏・全英・全米の四大大会)22回目の制覇。ラファエル・ナダル(スペイン)と並んで歴代トップになり、世界ランク1位に返り咲いた。35歳とベテランの域に達し、なお一線級の活躍を続けるジョコビッチだが、プロ転向当初はなかなか実力を発揮できないでいた。その原因の一つは体質と食事の不適合。食生活の改善後、みるみる成績は向上し、残す偉業は年間GS全制覇のみになっている。
エリートプレーヤーが開花するまで
ジョコビッチは1987年5月22日、ユーゴスラビア(現セルビア)・ベオグラードで生まれた。両親はレストランとテニスアカデミーを経営しており、親族はみなプロスキーヤー、父もサッカー選手として活躍するほどのスポーツ一家だった。
ジョコビッチは、数ある競技の中でテニスを選び、ずば抜けた才能を持っていたという。幼少期はユーゴスラビア内戦※)の真っただ中で、ジョコビッチ自身も爆撃の危険にさらされ、避難のために長期間地下での生活を余儀なくされたこともある。
ジョコビッチは自著「Serve to Win」で、この時の苦難がより一層テニスに打ち込む原動力になったと記している。※) 1991年から始まった民族紛争。多様な民族・言語で連邦国家を形成していたユーゴスラビアで民族主義が叫ばれ、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナなど各国が次々と独立。才能のある選手が豊富で「東欧のブラジル」と呼ばれていたサッカー・ユーゴスラビア代表は、紛争の制裁措置によって出場予定のヨーロッパ選手権から直前で締め出された(代替出場のデンマークが優勝)。
6歳の時(1993年)、元女子テニス選手でスポーツコーチのイェレナ・ジェンチッチの目に留まり、テニスの指導を仰ぐことになった。
ジェンチッチは、モニカ・セレス(ユーゴスラビア/アメリカ、GS制覇9回)、ゴラン・イワニセビッチ(クロアチア、2001年全英制覇)ら数多くの選手をジュニア時代に発掘し、育成したことで知られている。6年間ジェンチッチのコーチを受けた後、ジョコビッチはドイツに渡り、14歳(2001年)でジュニアのシングルス、ダブルス、団体戦の3部門でヨーロッパ王者に輝くと、15歳(2003年)でプロ転向を果たす。
2005年の全豪オープンで4大大会初出場を飾り、男子プロテニス協会(ATP)主催の大会でも初優勝、ランキングはトップ100以内に上昇していた。
まだ若く本格化前だったこともあり、2010年までは4大大会で優勝1回とジュニア時代の活躍と周囲の期待になかなか応えられなかった。
1歳年上で好敵手のナダルは、同時期までに全仏5回を含むGSで9回優勝しており、トッププレーヤーの仲間入りをしていた。いまひとつ力を発揮できない中、ジョコビッチが明確に体の異変を認識した時があった。2010年全豪オープン、ジョー=ウィルフリード・ツォンガ(フランス)との準々決勝。2セット連取後、呼吸が苦しくなり、激しい嘔吐を催した。
自身も「以前から、トレーニングをしてもタンクの中の燃料がなくなっているように感じていた」と振り返っているように、長時間に及ぶことがあるテニスの試合で、エネルギー不足、体力の枯渇は致命的。試合の最後まで体力が持たないことに対して手を打つ必要性を感じていた。
小麦・乳製品の不耐性が判明、グルテンフリー食への転換
「いい試合をするけど、勝ち切れない選手」からの脱却を図るために方策を模索していたジョコビッチは、2010年夏にセルビア人医師、イゴール・セトイェビッチと出会う。
セトイェビッチは、ジョコビッチが突如崩れた全豪オープンを自宅で観戦しており、疲弊の原因が呼吸にあって、食事・栄養摂取が関連していると推測した。「肺は腸と対になっているため、腸に異常がある(体が受けつけない食品を摂取する)と、肺の主な機能である呼吸と酸素の吸収まで損なわれてしまう。ノール(愛称)の場合、トップアスリートで極度のプレッシャーを受ける環境にもあり、肺がパフォーマンスに必要な十分な酸素を供給できる状態になかったんだ」と、後にセトイェビッチは明かしている。
血液検査の結果、ジョコビッチには小麦(グルテン)・乳製品に強い不耐性があることがわかった。
セルビアではパンやパスタが主食で、実家もレストランを経営していたジョコビッチにとって、小麦は子供のころから慣れ親しんだ物。なかなか受け入れがたかったが、セトイェビッチが推奨するグルテンフリー食を取り入れ、生活を変えることにした。
セトイェビッチは1年にわたってジョコビッチと行動を共にし、問題点の追求と改善に大きな役割を果たし、偉大なテニスプレーヤーになる手助けをした。食生活を変えてすぐ、ジョコビッチの体に変化が出る。体は軽く、エネルギッシュになり、何よりよく眠れるようになった。効果を実証するためにあえて、パン食に戻した途端に体調は悪化したという。
ジョコビッチは食の改善以外にもトレーニング方法を変えたり、精神面の充実を図るため、瞑想やヨガを取り入れたりして、頂点に立つための準備をしていた。劇的な体調の変化は成績にも表れる。ジョコビッチが出場した2006年以降のATP主催大会(GS含む)で、世界ランキングトップ10以内の選手と対戦し、長時間に及ぶ(体力勝負にもつれ込む)4セット以上の試合におけるジョコビッチの勝率を算出したところ、2010年までは8勝14敗(.571)で、年間負け越しか、成績タイに留まっていた。
食生活の改善に着手して以降の2011~2022年では70勝12敗(.707)と好転、ケガの影響が大きかった2017年を除き、すべて年間で勝ち越している(2011年のシーズンは9勝2敗)。2010年まではまだ力が足りず、格上の相手に敗戦を喫したケースが多かったことを考慮する必要があるが、2011年以降はランキングが上がるにしたがって出場大会は増加し、勝ち進むことで試合数がかさむ上、対戦相手も強化されるため、むしろ体力や精神は消耗する状況にあった。
それでも勝ち切れるようになった要因は、「燃料がなくなっている」状態が食によって改善され、試合をあきらめることなく粘り強く戦えるようになったからだろう。「肉体的にも、精神的にも、トップレベルの選手たちと同じコートで戦えると思えなかった。いくつかの変更を加え、それ(栄養)がすべてを変えた。挫折寸前から世界の王者になることができたんだ」
体力の疲弊に苦しんだジョコビッチは、足りなかった最後のピース(食事)をはめることによって、テニス界の頂点にたどりついたのだった。グランドスラマーの食生活
ジョコビッチの1日は、20分ほどのヨガや太極拳から始まる。朝食を摂った後、90分ほどコートに立ち、クールダウンのためにストレッチをする。昼食を摂ったら、ウェイトや高強度のトレーニングを1時間、直後にプロテインドリンク(植物性)を飲んで回復を促す。その後、90分のヒッティングセッションをおこない、ストレッチをしてクールダウンする。
ポイントになるのは食事の摂取タイミングと必ずクールダウンをしていること。ジョコビッチは食事をすべて自分で作り、スマートフォンを見たり、本を読んだり他のことはせず、食べることだけに集中しているという。
以下、ジョコビッチが実践した3日間の食事メニューを紹介する。本やネット上でも公開されている物なので、体調に悩みがあり、食事や栄養摂取で現状を打破したい人は試してみるのも手だろう。【1日目】
<朝食> 寝起きの水、蜂蜜大さじ2、ミューズリー(オーガニックグルテンフリーロールオーツ、クランベリー、レーズン、かぼちゃまたはひまわりの種、アーモンドを含む)
<午前の補食(必要な場合)>グルテンフリーのパンかクラッカーに、アボカドとマグロを挟んだ物
<昼食> ミックスグリーンサラダ、グルテンフリーパスタプリマヴェーラ(ライスパスタ、サマースカッシュ、コートレット、アスパラガス、サンドライドトマト、オプションでヴィーガンチーズを使用)
<夕食> ケールシーザーサラダ(ケール、フェンネル、キヌア、松の実)+ドレッシング(アンチョビまたはサーディン)、ミネストローネスープ、サーモンフィレ(皮付き)+ローストトマト+マリネソース【2日目】
<朝食> 寝起きの水、蜂蜜大さじ2、バナナのカシューバター添え、フルーツ<午前の補食(必要な場合)> アーモンドバターと蜂蜜を塗ったグルテンフリートースト
<昼食> ミックスサラダ、スパイシー蕎麦サラダ(グルテンフリーの蕎麦、赤パプリカ、ロケット、カシューナッツ、バジルの葉、スパイシードレッシングを含む)
<午後の補食> フルーツとナッツのバー、フルーツ
<夕食> ツナニコワーズサラダ(インゲン豆、カネリーニ豆、ロケット、ツナ、赤ピーマン、トマト、ひよこ豆の缶詰)、トマトスープ、ローストトマト
【3日目】
<朝食> 寝起きの水、蜂蜜大さじ2、グルテンフリーオーツ(カシューバターとバナナ入り)、フルーツ<午前の補食(必要な場合)> 自家製フムス(ひよこ豆とグルテンフリー醤油を含む)、クルディテを添えたりんご
<昼食> ミックスグリーンサラダ、グルテンフリーパスタ(ライスパスタ、クルミ、バジルの葉を含む)
<午後の補食> アボカドとグルテンフリーのクラッカー、フルーツ
<夕食> アボカドと自家製ドレッシングのミックスサラダ、人参と生姜のスープ、鶏の丸ごとレモンロースト
ジョコビッチの食事(食事療法)については、考える点がある。グルテンフリー食はあくまで、ジョコビッチの体質に合致した物で、スポーツ選手にとってそれが有益なのかは議論が分かれる。
Serve to Win の著者で、アメリカ人医師のウィリアムズ・デイヴィスは「グルテンは、ホルモン状態のゆがみを生み出し、運動能力を麻痺させる可能性がある」と言及している。
一方、健康なスポーツ選手がグルテンフリー食にすることで得られる大きなメリットは見受けられない※)との見解もあり、確たる根拠を待つ必要がある。少なくとも、ジョコビッチと同じような症状がある人の助けにはなるが、万人に当てはまるということでもなさそうだ。※) Dana M Lis et al.: Dietary Practices Adopted by Track-and-Field Athletes: Gluten-Free, Low FODMAP, Vegetarian, and Fasting, Int J Sport Nutr Exerc Metab, 29(2) 236-245 (2019)
食事・栄養摂取はパーソナルな部分が大きいため、トップ選手がおこなっていることを模倣したところで、好結果が得られるとは限らないのである。ジョコビッチにはセトイェビッチ がいて、いろいろなことを試して最終的に食事・栄養摂取にたどりついた。そして、いまだ王座に君臨してい
追加
コメント