立憲代表選、野田元首相が出馬に向け調整されているニュースがあります。
野田佳彦氏は、旧民主党政権の2011年9月に首相に就任しています。
そして、2012年12月の衆院選で敗北し、自民党に政権交代しました。

立憲代表選、野田元首相が出馬に向け調整
立憲の代表選を巡っては枝野幸男前代表(60)、泉健太代表(50)も立候補を正式表明しています。

日本維新の会が開いた政治改革に関する特別勉強会に講師として参加し、発言する立憲民主党の野田佳彦元首相=衆院第1議員会館で2024年8月23日午後2時5分、平田明浩撮影
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野田佳彦元首相のプロフィール
://www.mskj.or.jp/profile/yoshihiko-noda.html
1957年 千葉県船橋市生まれ
1980年 早稲田大学政経学部卒業
千葉県議会議員を2期経たのち、93年衆議院議員初当選
96年衆議院選では次点
2000年 衆議院選2期目の当選
2003年 3期目当選
2005年 4期目当選
2009年 5期目当選、財務副大臣
2010年 財務大臣
2011年 第95代内閣総理大臣
2012年 6期目当選、民主党最高顧問
2014年 7期目当選
2016年 民進党幹事長
2017年 8期目当選
2020年 立憲民主党最高顧問
2021年 9期目当選著作
「民主の敵―政権交代に大義あり」 新潮社 2009年
「松下幸之助と私」(共著)祥伝社新書 2019年テーマ
金融政策を正常化し日銀の財政ファイナンスを改めるとともに、財政健全化の道筋をつける「金融と財政の一体改革」
活動地域
千葉県船橋市 国会議事堂
野田佳彦首相の在任日数は482日間。
鳩山由紀夫氏の266日、菅直人氏の452日を上回り、民主党政権下では最長でした。
2009年9月に誕生した民主党政権は3年3カ月で幕を閉じました。
与党にとって不利な状況で総選挙 なぜ野田首相は解散に踏み切ったのか

政治・外交 2012.11.29
カギは「社会保障と税の一体改革」関連法案の審議、特に参議院での法案可決の経緯にある。
「一体改革」参院可決に必要だった衆院解散の約束
野田首相は、内閣の最重要課題として、消費増税を柱とする社会保障と税の一体改革の実現を目指し、3月に関連法案を国会に提出した。だが、「ねじれ」国会のもと、法案を通すためには、野党自民党の協力が必要であった。民主党は自民党、公明党と協議を行い、法案を自公両党の主張に沿う形で修正することに合意する。この結果、法案は共同修正され、6月26日に衆議院を通過した。自民党が民主党に協力した理由は、(1)2010年参議院選挙において消費増税を公約していた、(2)法案採決によって民主党が分裂することを期待した、(3)「決められない政治」が続くことで、「維新の会」が台頭するのを警戒した、という3点にある。
しかしながら、衆議院での可決で法案が成立した訳ではなかった。もともと自民党内の一部は、法案の成立を阻止して、解散に追い込むことを強く求めていた。参議院の審議過程で、これに同調する動きが強まり、自民党内は、3党合意を破棄し、内閣不信任決議案や問責決議案を提出することでほぼまとまる。そこで野田首相は8月8日に谷垣禎一自民党総裁、山口那津男公明党代表と党首会談を行い、法案が成立した場合には「近いうちに」解散することを約束した。こうして社会保障と税の一体改革関連法案は参議院で可決、成立した。
もし自民党が不信任決議案や問責決議案を提出していれば、3党合意は破棄されて、法案の成立は不可能になっていたはずである。野田首相は苦境に陥り、その時点で解散か総辞職に追い込まれた可能性が高い。このため、首相は谷垣総裁の早期解散の求めに応じて、「近いうちに」と言明せざるを得なかったのである。
解散を先延ばしできなかった野田首相この後、自民党は野田首相に早期解散の約束を果たすよう求め続けた。これに対し、首相は解散の条件として、(1)特例公債法案の成立、(2)衆議院の定数是正と定数削減を中心とする選挙制度改革法案の成立、(3)社会保障制度改革国民会議の設置を挙げた。
自民党は応じる姿勢を示す。野田首相は11月14日の党首討論であらためて選挙制度改革法案成立への協力を求め、引き換えに16日の解散を提案した。
首相は条件をいろいろと挙げたものの、これ以上解散を先延ばしすることは難しかった。引き延ばせば有権者の多くは首相が約束を破ったと感じ、民主党にとって情勢はさらに悪化したであろう。また、自民党も法案審議への協力をことごとく拒み、政治は膠着(こうちゃく)したはずだ。このような場合、過去の例からすれば、ほとんどの批判は内閣と与党に向かうものである。
要するに、8月の党首会談で「近いうちに」という言質を自民党に取られた時点で首相の解散権は制約されていた。言明せざるを得なかったのは法案を参議院で人質に取られたからである。この解散は参議院の影響力をあらためて裏付け、参議院が今や首相の解散権をも拘束しうることを示している。
(2012年11月23日 記)

野田元首相とは何者か
2022/11/01 17:00
野田氏は民主党政権3人目にして最後の首相であるが、前任の鳩山由紀夫、菅直人両氏のように早くから注目され、ある意味華のあった政治家とはやや異なる。
民主党政権全体が行き詰まるなか、あえて火中の栗を拾った野田氏は、自らを「どじょう」になぞらえて「泥臭くとも粘り強く、国民のために汗をかく」と語った。
税と社会保障の一体改革では、当時の谷垣禎一自民党総裁らと会合を重ね、いわゆる「3党合意」にこぎ着けた。
現在は菅氏と共に立憲民主党の最高顧問を務めている。最高顧問は党内のいわゆる「上がりポスト」であって、第一線からは退いている印象が強い。
それでありながら、野田氏は首相退任後の今もなお、地元の千葉県で毎日のように街頭演説をしている。演説の巧みさに関して、党内で右に出る者はいない。だから実は、今回の追悼演説をめぐっても「野田氏ならできるのではないか」という声は早くから聞かれていた。
野田佳彦元首相と岸田首相とのエピソード「野田佳彦元首相に・・・ 岸田文雄首相は何一つまともに答えられず」

2024年2月27日 06時00分
自民党派閥の政治資金パーティー裏金事件に関し、岸田文雄首相に「あなたが政治改革の障害になっている」と迫っています。
野田氏は、自民党総裁である首相が事件の真相究明や再発防止に指導力を発揮していないと指弾したが、首相は論点をずらすなど曖昧な答弁に終始した。(小椋由紀子)

26日、衆院予算委で質問する立憲民主党の野田佳彦元首相
89年の自民党の政治改革大綱が党役員や閣僚の在任中の派閥離脱を掲げていることについて、
「ずっと派閥を離脱しなかったのはなぜか」との質問に対し、
「反省しなければならない」と正面から答えようとしなかった。

衆院予算委で答弁する岸田文雄首相
首相は「首相就任以前から続けてきた勉強会。国民の疑惑を招きかねないということには当たらない」と反論。

まとめ 野田元首相 再登板 野田佳彦元首相(67)とは、どんな人?
野田元首相の首相の時代の評価は高く、また、テレビから伝わるお人柄も良いようです。
そんな野田元首相のこれからを期待したいと思います。
当時、ネットでみられた野田元首相に対する評価のコメントはからも期待できそうな感じです。
・財政立て直しに真剣に取り組む覚悟が鮮明である。次の選挙、今後の自分の人気と任期、今後の身の
振り方にとらわれないその真剣な態度、財政立て直し実現のためならばどんなに罵声を浴びようと耐え抜く態度は称賛に値する。(40代、学者・研究者)・ポピュリズムにはおちいることなく政治の今の喫緊の課題をブレずに進め、安易な反対にも立ち向かっていること。(40代、会社員)
・TPP、武器輸出3原則、スーダンPKO、消費税議論など、これまでの民主党、自民党政権でなしえなかった難しい決断を一つ一つ着実に行った。(50代、国家公務員)
野田政権は、政権維持からは党にとって不利と思われるような政策でも長期的観点から本当に日本にとって必要な政策を本気で実行しようとしていることが主な理由。(60代、企業経営者・幹部)
・派手さはないが、回りの騒音をかわして、行動に表している。(60代、企業経営者・幹部)
・野田総理の政策の優先度は基本的に正しい。(1)震災・原発事故からの復興(2)TPP(3)税と社会保障。そして信念を持ってやっている。(60代、地方公務員)
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