早田ひな 中国での人気! 石川佳純 中国語インタビュー!

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早田ひな 中国版SNS コメント荒れる?

早田ひなさん ウィキペディア

中日スポーツより
パリ五輪で卓球女子シングルスで、銅メダル、団体で銀メダルの早田ひなさんの発言で中国版SNS微博(ウェイボー)のコメントが荒れているというニュースが入ってきました。

それは早田ひなさんの発言に反応したもののようでした。

「鹿児島の特攻資料館に行きたい」発言でした。

特攻資料館とは鹿児島県南九州市の知覧特攻平和会館。

「この悪名高い場所が軍国主義の場所であることを知っていますか?」「日本が中国に多大な被害をもたらし、多くの罪のない人々や兵士が虐殺されたのに、あなたは侵略者を崇拝し、私たちの国民感情を傷つけている!」「日本人は決して信用できない。友好的に接したかと思えば、一転して裏切る」などのコメントが中国語で書き込まれている。

フォロワーは12万人を超える人気でした。

ですが、フォロワー外しが盛んになっていることがニュースになりました。

早田ひなさん なぜ、会見であえて知覧特攻平和会館い行きたいと発言したのか?

早田さんは帰国後の会見で「今やりたいこと」の質問には

を挙げていました。

そこで中国での反感になってしまったようです。

「あとは、鹿児島の特攻資料館に行って、生きていること、そして自分が卓球がこうやって当たり前にできていることというのが、当たり前じゃないというのを感じてみたいなと思って、行ってみたいなと思っています」と続けた。

やはり、大きなオリンピック大会を終えて、輝いているご自身の現在の生きている幸せを嚙み締められての発言ではあると感じます。

また、オリンピックは国の代表者同士の競争です。

それは、国と国との争いに近い感覚なのかも知れませんね。



この知覧特攻啓和会館では特攻隊として散華された1036名の隊員の多くは早田さんと年齢も近い年代でした。そのようなことを考えると、もう一度、今の幸せを感謝したいとの思いだと思います。

早田ひなさんの中国の人気の訳は?

 


このことは、中国のポータルサイトの「百度」より

「(世界ランク1位の)孫穎莎が来日後『ラーメンが食べたい』と早田に協力を求めると、早田は孫におすすめのラーメン店や場所を教えたりしただけでなく、孫以外の人のサポートも行った」と言及。競技外での人柄が中国ファンの心をつかんだ・・・

そんな記事があったようです。

中国での人気の石川佳純さんの人気ぶり

デイリーより  石川佳純さん

 中国語をマスターされている石川さん。

このことは、卓球王国である中国では大変、歓迎されています。

 

そんな石川さんの中国語マスターの経緯を紹介されています。

――中国語をどのように学んでいったのですか。

 「中学で中国人コーチが話している中国語を自分もわかるようになりたい、と思ったのがきっかけです。言葉がわかることで、コーチの教えをじかに吸収して、自分の卓球のレベルもきっと上がるだろうと思ったんです」

 「中国語を学校で勉強したということはなくて、毎日の卓球の練習の中でちょっとずつ単語を教えてもらって、それを少し使って交流して、と繰り返すうちに、だんだん会話もできるようになっていきました」

 「最初に教えてもらった単語は、フォアハンドの『正手(チョンショウ)』とバックハンドの『反手(ファンショウ)』でした。その後、サーブ『発球(ファーチウ)』、レシーブ『接発球(チエファーチウ)』というように、単語がつながり、ひも付けて覚えていくという感じでした」

自分なりのさまざまな方法で、徐々に中国語を身につけていく石川佳純さん。記事後半では、苦しかった東京オリンピックの代表選考レースで、中国のファンたちに心を支えられたことについても語ってくれました。

 「覚えた単語をノートに書いたことも何度かあったんですが、面倒で2ページぐらいしか続きませんでした(笑)。でも、毎日毎日聞いていると、最初は覚えられなくても、1週間ぐらいたつと聞いてわかるようになるんです。その『わかる、わかる』という発見が楽しくなってきました」

語学習得に関わらず、私たちも何かを学び、それを習得したいと思う時となんら変わりなく、やはり繰り返し学習が大切なことを、卓球ということだけでなく、何事も繰り返し学習の大切さを学んだ感じです。

石川佳純さんとは

Numberの引退記念インタビューに青いワンピースを着て現れた石川佳純さん

「ハッピーな毎日です」石川佳純(30歳)が引退後のインタビューで明かした“本音”「言い訳を絶対に許さないプライドがありました」<Number Web> photograph by Wataru Sato

石川佳純さんは山口県のご出身です。

3大会連続でオリンピック出場されています。

ご両親も卓球選手だったようで、7歳から卓球を始め、全日本選手権の女子シングルスでは高校3年生で初優勝しています。

そして、五輪3大会連続出場、メダル獲得などの功績を残しておられます。


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